遥かなる未来 3(完)
「そんなことないぞ。でも…そうだな。 もっと若いときなら、そういう風に感じることもあったかも知れないけどな。 オレも託生もそれぞれに忙しくて、顔を合わせられない日も多かっただろ。 託生と出会ってから、ずっと幸せだったけどさ。 いつが一番幸せだっただろうかって、思い起こしてみたらさ、祠堂で同じ部屋で過ごしたあの1年だったような気がしたんだよ。 毎日、些細な事に一喜一憂してさ、朝起きてから、夜寝るまで…限られた場所の中で、精一杯楽しんでた。 それが堪らなく幸せだったなってさ。 だから、会社で自分の役目が終わったら、もう一度託生とそんな生活を楽しみたいと思ってたんだ。 託生は、今の生活が退屈か? 託生だって、忙しく世界中、公演やレコーディングで飛び回ってたじゃないか。」 「ギイ…」 逆に、ギイに退屈かと聞かれて、思い起こす。 ギイと出会って、ぼくはそれまでよりずっと幸せになった。 兄のことも、母のことも許せるようになった。 大好きなバイオリンで生きていく道もできた。 何よりもギイに愛されたし、ギイを愛して生きてこれた。 辛いこともあったけど、ギイと共にある人生を嘆いたことなど一度もなくて。 だけど、いつが一番幸せだったかと言われたら、やっぱり、ぼくにとってもあの1年に違いなく。 今のぼくらは、何も知らずにいたあの頃と同じではいられないけれど、 ある意味、あの頃と同じように純粋に共に居ることを楽しめる年齢になったのだと気付く。 「退屈なんかじゃ、ないよ。」 「そうか?」 ギイがぼくの手をそっと包む。 その手をぼくは、ぎゅっと握り返す。 「うん…。ねぇ、ギイ。」 「ん?」 「ぼくさ、今が人生の中で一番幸せだよ。 305号室で過ごした1年は、それまでの人生では考えられないくらい、凄く幸せだったし、特別だったと思うけれど。 あの頃は、今よりギイを好きになることなんてないと思ってたけど、ギイを知れば知るほど、もっとギイを好きになってた。 今まで色々あったけどさ、ギイに飽きるどころか気がつけばさ、ギイをもっと知りたいと思ってた。 あの頃は、何も知らなくて、何も考えずに過ごしていられて。 それは、とても幸せだったとは思うけれど。 今はさ、知ってきたからこそ、幸せだと思えるんだ。 今のぼくも、今のギイも、一緒に生きてきたからこそ…だろ? だから、ぼくは、今が一番幸せだよ。」 ぼくがそう言うと、ギイは、ぼくの好きなブラウンの瞳を見開いてぼくを見て… それから、嬉しそうに目を細めて笑いながら、ぼくの髪を撫でた。 「…そうか」 「うん。」 「これから…もっと、幸せになろうか。」 と幸せそうな顔で言った。 「贅沢者だね。」 ぼくがそう言うと、ギイがぼくの肩を引き寄せて頬に小さなキスをした。 それから、しばらくの間、ぼくとギイは、手を繋いだまま、すっかり葉の落ちた桜を見ていた。 「そろそろ、冷え始めるな、帰ろうか。 帰ったら暖かいコーヒー淹れてやるよ。」 「ありがとう。」 ギイが立ち上がって、ぼくの手をひく。 ぼくの手は、そのままギイのポケットへとスルリと入れられると誰もいない道を二人並んで歩き出した。 これから――。 後何年、こんな風にギイと過ごせるかわからないけれど。 多分、ぼくはずっと幸せに違いなくて。 もし、またあの多忙な世界へギイが戻ることがあっても このまま穏やかに過ごす日々が続いても いつか、もっと年老いて…ギイと永遠に別れる日が訪れても。 ぼくは、きっと。 命あるかぎり、ギイを愛していて。 ギイの愛情を感じながら生きているに違いなくて。 幼い日に、駅で出会い 祠堂で再会し、そして、突然別れ 再び出会って…大人になり それぞれの仕事を大切にする中で、すれ違うこともあったけど。 こんな風に、お互いに歳をとって まだ、こんなにも大切だと思える人に出会えた奇跡を誰に感謝すればいいのだろう。 ぼくたちが2人で生きることを許してくれたすべての人に、 ありがとう と 愛してる を―――――― ****************************************** 2人の老後。 イメージは、チャーミーグリーンです(笑) 若い人は知らないだろうな…