long story遥かなる未来

遥かなる未来 2



そんなやり取りををした数年後――――。

ぼくとギイは、日本に家を買った。
リビングには、バイオリンコンサートの楽しめる小さなサロン。
窓の外には満開の桜。
柔らかい明るい光が差し込んで、日溜まりが心地の良いサンルーム。

それから…、小さな喫茶店。
そのカウンターではメルヘンな香りのコーヒー。

「本当に喫茶店を始めるなんて。」
ぼくが笑うと
「こんな余生も良いだろ。」
とギイも笑う。

本当に…ギイといると、思いもよらない人生ばかりだ。
あんなに酷かった嫌悪症が完治したのも。
ストラディバリウスを弾くことになったのも。
バイオリニストになれたのも。
英語も出来ないのに、ニューヨークに航ったことも。
こんなところで喫茶店を始めるのも。

何もかもが、ギイと出会わなければ有り得なかった事ばかりで。
そして、そのどれもが、ぼくを幸せにしてくれた。

チリン…

小さな鈴の音をたてて、店のドアが開いて、お客様が入ってきた。
「あ、赤池くん。いらっしゃい。」
「準備ははかどってるか?」
「うん。ぼちぼち、ね。」
「店、どうだ?」
「素敵だね。」
ぼくは、新しい店内を眺めながら言った。
すると満足そうに章三が言う。
「当然だろ。誰が設計したと思ってるんだ?」

決して贅沢で立派な店ではないけれど。
訪れた人がほっとするような居心地のよい店内は、気遣い上手な章三の人柄を感じる。

「それにしても。ギイが日本で喫茶店を始めるとはね。」
と章三が可笑しそうに言う。
「そうだよね。ぼくも未だに夢なんじゃないかと思うよ。」
とぼくも笑うと、カウンターの中からギイが声を掛ける。
「夢とは失礼な。章三、コーヒー飲んでくだろ。」
「もちろん。」
ギイが湯を沸かすのを横目で見やり、そのまま章三が窓の外に目を向ける。

「それにしても、静かな所だな。客なんて来るのか?」
からかうように章三が言うと、ギイが
「ん?余生を楽しむための店なんだ。
利益に拘るつもりもないし、誰かを雇う気もないしな。」
と笑う。
「それこそ、道楽だな。」
と章三は呆れたように首を竦めた。


  ***************


本当に…ギイとの新しい暮らしは、今までになく緩やかだった。
喫茶店とは言うものの、往来にあるような店じゃないから、客はそれほど多くなかった。
けれど、誰も来ない訳でもなく。
本当に気に入った人が、のんびりとした時間を過ごす。
ここは…そんな場所だった。

そうして、夕方に客がいなくなると店を閉め、散歩に出かける事もあった。

ベンチに座りギイが言う。
「いい気持ちだな。」
「そうだね。」
爽やかな風を感じながら、空を見上げる。
そして、ぼくはこのところ気になって…そして、聞けなかったことを聞いてみた。

「ねぇ、ギイ?日本に来たこと後悔してない?」
「ん?してないぞ。託生は、ニューヨークのが良かったか?」
同じように、爽やかな風に髪をあそばせながら、ギイがぼくに問う。

「ううん。そんなことないけど…」
「けど?」
ギイが、ぼくに先を促す。
穏やかな毎日を過ごすギイとぼく。
それは、それでとても幸せではあるけれど
「ギイ、今までこんな風に過ごしたことないだろ?
その…つまらなくないかな、とか…ちょっと気になってた。」

日本に来るまで、ぼくの知ってる誰よりも忙しくしていたギイ。
カウンターの奥で、経済紙や何種類ものニュースペーパーを読んでいるギイ。
パソコンで、誰かとやり取りを深夜にしていることも時々だけどあって。
だからこそ…、日本で、こんなにものんびりとした生活をしているのが、性に合わないのではないかと心配になるのだ。


  
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